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29歳のときわたしは洗礼を受けたが、その後ベテスダホームに勤め続けるかどうか、どこに向かって進むか、その頃から問題になり始めた。ベテスダホームは福祉施設だったが、わたしはそこで働くことが「天職」だとは思えなかった。そして、ベテスダホームで働き続けるか、どこか別な方向に向かっていくべきか迷い始めたのである。そして、洗礼を受けた後、わたしはベテスダホームのいくつかの箇所で毎朝、礼拝を守っているハルトビッヒ先生たちのお手伝いをすることになった。ローズンゲンによって、聖書の箇所が定められていたが、わたしがお手伝いを始めたときには、ちょうどローマの信徒への手紙で、わたしは話をするためにカルヴァンの注解やバルトの『ロマ書講解』を購入し、それらを読むことに次第に熱中するようになっていた。また、森有正の全集が出始めたので、それも読むようになっていた。そういう中で、次第に牧師になることを考え始めていた。「一隅を照らす」ということやフランチェスコにならって生きるということが、ベテスダホームに入るときに思っていたことだったが、それは薄れていたのである。
当時、わたしは、森有正のいう「内面的促し」を知るようになっていた。わたしは、自分の心の中にも、牧師になるべく出発するようにという促しを感じていたのである。それに従おうという決心をしたのである。しかし、わたしの心には、ベテスダホームから逃げ出したいという思いもあったと思う。それで、東京の神学校目指して、荷物を運ぶトラックの助手席に座り、ベテスダホームを後にした直後から、「わたしはあの人たちを見捨ててきたのではないか。」という思いにさいなまれ始めたのだった。 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2014-02-25 23:02
| 随筆
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