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今頃になってやっと「世界」という言葉が、心の中に入ってきている。わたしは、自分では結構、「インターナショナル」な人間であると思ってきたが、思いのほか、日本人であることにこだわってきたのかもしれない。日本人以外に宣教しようということは考えてもいなかった。わたしには、日本だけでも十分広く思われていたのである。「日本人には日本人のようになって」と思い、『源氏物語』を読み、日本文化に通じ、日本人にわかりやすく、受け入れやすく福音を語ろうとした。
しかし、パウロやペトロは同胞のユダヤ人でありながら、敢えて、ユダヤ人たちから嫌われるような道を進み始めたのだった。しかし、新約聖書に登場する異邦人たちも、キリストを信じるようになって、同胞の異邦人たちから嫌われる道を歩み出したのである。 神は、「ユダヤ人と異邦人」の中から、わたしたちイエス・キリストを信じる者たちを召し出してくださったのである。 あなたがたにまで伝えられたこの福音は、世界中至るところでそうであるように、あなたがたのところでも、神の恵みを聞いて真に悟った日から、実を結んで成長しています。(コロサイ1.6) 「世界中」とある。わたしは「世界中」に広がる教会に属する者なのである。「もはや日本人もユダヤ人も中国人もアメリカ人もロシア人も、区別ない者」になっている。しかし、そのために、今の日本では、「非国民」と呼ばれる覚悟がなければならないだろう。憲法20条があるにもかかわらず、憲法1条で、「天皇は国民統合の象徴」とされてしまっているので、そうならざるを得ないのである。わたしたちは、この日本では「天皇の名によって統合を求められている。」これは、それを望まないものにとっては、束縛になっている。明治憲法では、クリスチャンであっても国民は「臣下」であらざるを得なかったのであるが、今の憲法下であっても、わたしたちは、「天皇という象徴」のもとで統合されている。「統合」という言葉は重い。 憲法第1条は、矛盾した内容をもっている。たとえ「象徴」であっても、「天皇」は、国民主権を常におびやかしている。 イギリスにも「王」がいるではないか、と言えるが、イギリスには憲法がない。かえって、国民は自由なのである。この問題を徹底して考えている日本人は非常にまれであろうが、マッカーサーは、結局、日本人を天皇制で縛ることを望んだということだろう。結果としてそうである。明治維新の志士たちが「天皇」を政治利用したように、マッカーサーもアメリカも「天皇」を政治利用したし、歴代自民党政権もそれは同じだった。だから、「非国民」と呼ばれる覚悟をすべきだろう。 わたしは、ここでかなり極端なことを書いている。しかし、このことによって、私に明らかになってきたことがあるのである。パウロの気持ちが少しわかってきた気がする。日本の右傾化が、わたしをここまで考えさせている。 しかし、国民主権を強化する道は憲法で保障されていると解釈できる。天皇制を廃止することも、憲法上可能なはずである。ところが、今は天皇を元首にしようとさえ、自民党は改憲案で書いた。 わたしはその意味がよくわからなかったが、この「元首化」は、「国民主権」の空洞化を目指しているものだろう。 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2013-09-26 22:36
| 評論
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