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二つ目の幸運について藤田氏はこう書いている。
第2の幸運は、原子炉の蓋が飛ばなかったことである。チェルノブイリ原発事故では原子炉の蓋が吹き飛んだために、原子炉の放射能の半分近くまでもが環境に噴出し、甚大な被害をもたらすことになった、福島事故では、原子炉建屋は吹き飛んだものの、原子炉本体の蓋が飛ぶにはいたらなかった。全電源喪失により冷却機能を失った原子炉では、核燃料が自らの崩壊熱によって溶融を始めると、燃料被覆管のジルコン合金と水が反応して水素が発生する。ウラニウムの融点は1132℃であるから、ウラン燃料の溶融が始まればそれより沸点の低いヨウ素、セシウム、テルルなどは気化して水素ガスとともに原子炉から漏れ出し、原子炉建屋に充満し、そして爆発とともに環境に放出されることになる。ストロンチウムの検出例が少ないのは、測定に手間がかかりぎてデータが少ないこともあるが、セシウムより沸点が高いため放出率が低いことも考えられる。 福島事故では原子炉の圧力が設計値を超えていたため、いつでも原子炉本体の蓋が吹き飛ぶ危険性があった。当時の福島第一原発所長であった吉田昌郎は、日本が三分割されることを恐れていた。 また当時の内閣総理大臣であった菅直人は、真剣に首都圏5000万人の避難計画を考えていた。福島原発事故に遭遇した関係者の中で、真の意味の当事者意識を持っていたのはこの二人しかいなかったのではないかと、私は考えている。 この二番目の「幸運」については、わたしは明瞭には知っていなかった。一番目の「幸運」については、承知していた。 ちょうど、あの時、わたしたちは、キリスト新聞に、北村先生のことで意見広告を出そうとしていたが、わたしは多少とも原発のことを知っていたので、東京も危ないもではないかと思い、果たして意見広告を出すことができるか、かなり心配していた。 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2013-09-26 17:43
| 随筆
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