最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
ユンゲルの『神の存在』あと30頁足らずであるが、なかなか前に進まない。しかし、今回初めて、彼が本来言おうとした主なることがわかりつつある。前回6回目を読み終えたとき、もう全部理解した、一番根底にあることも理解したと思っていたが、そうではなかったことが、非常にはっきりしてきた。「神の苦しみ」「神の死」がここで中心的に考えられているのである。
ここでユンゲルはゴルヴィツァーのバルト理解を取り上げ、その誤解を明らかにし、バルトの三位一体論を中心、再基底とみなし、そこから論ずる。彼は、「三位一体論」は「活ける神」を指し示しているとし、神の存在の歴史性を指摘するのである。 ゴルヴィツアーはバルトに近い人で、彼の説教集など何冊かわたしは持っている。彼がバルトをかなり肝心のところで理解できていないということはわたしにとって驚きだったが、バルトの著作は確かに正確に理解するのは難しいものかもしれない。日本でも「三位一体論」は『教会教義学』の中でもほとんど最後に翻訳されたので、その翻訳が出ていていなかった時点で、この『神の存在』は、なかなか難解だったと思う。わたしも莫大な時間をバルト理解に費やしてきた。 ユンゲルのこの著作は、バルトがこれを読んで、ユンゲルの理解に賛意を表したことで、評価が定まったと言えよう。 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2013-09-07 18:00
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||