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誰も福島原発事故の刑事責任を問えないということになると、被害者だけいて加害者はいない自然災害だから、被害者は辛抱するしかない、ということになる。「想定外」だったから会社に責任がないから検察は起訴できないというならば、これから原子力発電で想定することのできなかった事故の責任は誰にもないことになる。
これはある面正しいのかもしれない。しかし、原発事故はやはり天災ではないのである。「想定外」だったのだから、誰の罪も問えないというのなら、また事故が起きても仕方がないということではないか。 だから、想定外の自然災害が起きたとき、誰も責任をとれない、というのなら、人間は原発を許容すべきではない。人間は扱えないものを扱えるように振舞っているのである。 わたしの言いたいことははっきりしている。「想定外」の事故は、その責任を問えないというなら、原発を廃炉にし、原発をつくらないことである。「想定外だったから仕方なかった」ではすまない、悲惨な現実が起きているのである。その悲惨な現実をさらに増やさないためには、「想定外」の事故をゆるすしかないような原発の稼動は即刻中止し、原発を廃炉にすべきである。 台風災害で、「想定外」の災害が起きても誰も責任を問えないかもしれないが、原発事故はそれが自然災害に由来するものであっても、原発がなければ、そうした災害は起きないのだから、原発をなくすという仕方で責任を取ることができるのである。 人間は、核分裂反応を制御できない。制御棒で制御できるのは、ごく一部分で、核廃棄物の核分裂反応をとめることが人類には不可能なのだから、核廃棄物をつくってはならないのである。「原発はトイレなきマンション」という言い方をわたしなりに言い換えた。 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2013-09-04 16:52
| 随筆
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