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西田幾多郎著『デカルト哲学について』をどういうわけか思い立って、読み直してみた。短いので読み直しやすい。
読んでみて、前より根底的に理解できたと思う。しかし、一つ思ってしまうのは、西田幾多郎は、「戦争責任」といったことについてどう考えていたのだろう、ということである。 自己は、「絶対矛盾的自己同一」の内にあるということならば、この「自己」は「戦争責任」の主体として、責任を問われ得るのか。西田幾多郎とやっとある地平で出会い始めたのかもしれない。 西田幾多郎は「戦争責任」などという発想を持たないかもしれないが。ここには、重大な問題がある。 西田は、スピノザにも、フィヒテにも行かず、「絶対矛盾的自己同一」こそ、「場所」であり、「場所」にこそ、「自己」があるとするのであろう。これは正しい理解であろうか。今度、読み直してみて、西田哲学をもっと理解できるかもしれない、という気持ちになった。
by kokakusouhachi
| 2013-02-14 00:30
| 随筆
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