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教団総会で、わたしの心に思い浮かんだ箇所は、マルコによる福音書3.1~6節である。
新共同訳ではこうある。 イエスはまた会堂にお入りになった。そこに片手の萎えた人がいた。人々はイエスを訴えようと思って、安息日にこの人の病気をいやさるかどうか、注目していた。イエスは手の萎えた人に、゜真ん中に立ちなさい」と言われた。そして人々にこう言われた。そして人々にこう言われた。「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」彼らは黙っていた。そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、その人に、「手を伸ばしなさい」と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。ファリサイ派の人々は出て行き、早速、ヘロデ派の人々と一緒に、どのようにしてイエスを殺そうかと相談し始めた。 「安息日に律法で許されているのは、善を行うことか。命を救うことか、殺すことか。」のところが特に思い出された。執行部側の人たちは「教憲・教規を守る。」との一本やりで、人の命などどうでもいいと思っているように感じられた。これは言い過ぎにしても、何か非情なものがあったのは事実である。 会津若松放射能情報センターの片岡輝美さんの発言は大変心を打つもので大きな拍手が起きたのに、無反応な人たちがいたようである。 また、オスプレイの配備と沖縄の強姦致傷事件についての抗議声明を出すようにという、議案が出されたが、結局ひどく杓子定規な議事運営によって、葬り去られた。 また岩国の大川清牧師の痛切な発言にも心動かされない人たちが、多数、存在した。 東京教区を中心に211名ほどの人は、心が冷たく鈍くなっているのが感じられた。 石原都知事を選び続ける大東京の人間の冷たさ。金持ちの支配。 2年前の教団総会では、「この人たちが黙れば、石が叫び出す」のところだった。
by kokakusouhachi
| 2012-10-27 19:07
| 随筆
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