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わたしは、日本の政治の根本的な問題は、決定できないことではなく、責任をとろうとしないところにある、と思っている。
今日の日本の政治の閉塞状況は、基本的に日本の政治家の中に責任意識が欠如しているためだと思われる。 ひどいのは自民党が、長年にわたって原子力発電を推進してきたのに、一向に自分たちの責任を認めようせず、なお原発推進を続けようとしていることである。 しかし、民主党の野田政権も、アメリカの言いなり、財界の言いなりで、責任をもった主体であるということが感じられない。 橋下徹氏にしても、決めることは決めるかもしれないが、責任はとらないだろう。責任ということがどういうことかわかっていたら、市長をしながら、国政にかかわろうとなどとはしないだろう。それができると思った思い上がりが、今や報いを受けつつある。 決められないのは、責任をとろうとしないからで、責任をとることが土台である。 無責任な決定というものもあるのである。何が何でも決めればいい、というのではあまりに無責任である。
by kokakusouhachi
| 2012-10-03 22:47
| 随筆
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