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神学校の卒業時、論文のテーマは、三つ考えられた。一つは、予定論の問題だった。バルトとカルヴァンの予定論を理解し、自分なりの考えをもちたいと思った。このテーマは大きすぎると感じられたし、当時バルトの予定論の部分は翻訳されていなかったこともあって、とりあげなかった。
森有正の「内面の促し」についてとりあげようとしたが、これも十分取り組む自信がなかった。 それでボンヘッファーが、一度アメリカに逃れたけれど結局ドイツに帰って来たのはなぜか、というテーマを選んだ。 今では、一番目の問題は、「福音とは何か」というテーマであったと思う。そして、二番目のテーマは、「わたしがベテスダホームから神学校に向かったのは、内面の促しに従ったつもりだったが、果たしてそれは正しかったのだろうか」という召命の問題だった。三番目の問題も、ベテスダホームから逃げ出したのではないか、帰った方がいいのではないか、しかし、帰ることもできない、という中での探求だった。これも召命に関係があったであろう。また「服従」の問題でもあった。 一番目の問題は、もう愛知機械をやめた時から、いやそれこそ、『カラマーゾフの兄弟』ときから、つまり19才のころからの問題であったろう。これが一番古くからの問題で、いまなおとりんでいる問題ということになろうか。
by kokakusouhachi
| 2012-08-29 10:05
| 随筆
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