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この書物における論敵は、ユダヤ人である。そして、アンセルムスは、理性を用いての議論でユダヤ人を論破しようとしている。
しかし、ルターの著作は、基本的に同じ教会内での教皇主義者、行為義認主義者を論敵としている。そして、理性を用いての議論ではなく、聖書を用いての、解釈の議論である。 アンセルムスのそれほどの理性に対する信頼というものは驚きに価する。しかし、神のみ名を「それ以上偉大なものを考え得られないもの」と理性的な表現をすることのできたアンセルムスは、理性を信頼するだけの理由があったのだろう。 とにかく、この『クール・デウス・ホモ』がユダヤ人たちを意識して書かれたものであることをはっきり念頭に置いておくべきだろう。 ユダヤ人は、わたしたちが「旧約聖書」と呼ぶものは持っていたが、「新約聖書」は認めていなかった。そこで、アンセルムスは、ユダヤ人もキリスト者も同様に認めることができる「理性」を用いての議論で相手を説得しようとしたのである。 アンセルムスは哲学者を相手にしたのではなく、同じく神を信じるユダヤ人を相手にしていたのである。
by kokakusouhachi
| 2012-08-13 20:34
| 随筆
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