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神学校の卒論では、予定論をテーマにするか、ボンヘッファーのアメリカからドイツへの帰還にするか、森有正の内面的促しの追求にするか、迷った結果、ボンヘッファーにしたのであるが、実は予定論の問題が一番昔からの問題であった。
そのことを今思っている。カフカを問題としてときも、創世記第3章が問題であったが、これは、やがて「神の恵みの選び」に至って、停止したのだった。バルトの予定論は「神の恵みの選び」と題され、結局、これがわたしが抱えていた最奥の神学問題だった、と思う。今は、キリスト論に集中していくのを感じている。 議論はしょせん議論に過ぎない。「神の恵みの選び」は議論ではなく、生きる道である。
by kokakusouhachi
| 2012-08-01 23:38
| 随筆
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