最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
カフカの『審判』が1914年8月に書き始められたということで、私はただちに第一次世界大戦を思い出したわけであるが、訳者の辻ひかる氏のあとがきによれば、その直前、カフカはフェリーチェ・バウアーとの婚約破棄をしているのであって、このことの方が大きかったに違いない。しかし、わたしは第一次世界大戦とこの作品がまったく無関係とも思えない。
『審判』のヨーゼフ・Kは、明らかに罪の意識は持っていないのに断罪される。カフカ自身は罪の意識を持っていたと思われる。 そうなると、カフカ自身の中にあった自分を責める声と自分は無罪だとする声が小説の中に姿を現し、戦いあったということではないか。 ここでは思いついたことを書いておく。そうすることによって、議論の中核ができ、小説をあらたに読むこともできよう。しかし、これは仮説的な事に過ぎないから、うまく解釈できなければ新たなものを想定することになろう。
by kokakusouhachi
| 2012-08-01 20:35
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||