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「日本的全体主義」ということばを考え付いた。このような表現をだれかがしていたであろうか。単純な「日本的」という言葉と「全体主義」というよく知られた言い方をつなぎ合わせただけだから、今まで誰かが表現していても少しも不思議ではない。これは「天皇制ファシズム」というような言い方などよりわかりやすいだろう。そして、厳密には「日本的全体主義」と「天皇制ファシズム」は違うところもある。おそらく「天皇制」をなくすることができても「日本的全体主義」は長く日本に生き続けると思うからである。
この国家や自分たちの共同体との合一性というのは、古代ではほとんど、どのような社会にもあったのではなかろうか。 あることで、プラトンの『クリトン』を読みなおす気になったのだが、明日にでも死刑になりそうなソクラテスが、以下のように言っているところがある。 「祖国とは、母よりも父よりもまたその他すべての祖先よりももっと貴ぶべく、もっと畏敬すべくまたもっと神聖であって、神々や理性ある人間たちの間で他に越え尊重されているものであるということに。」 「祖国」という概念。これは、岩波文庫の久保勉訳である。81頁。わたしはこれには同意できない。日本国憲法自身が、国家より個人の優位、基本的人権の尊重を言っているからである。この点では、近代憲法は、個人というものを知っており、個人が全体の犠牲になることを認めていないのである。しかし、多くの日本人にはそのような考えはまだ身についていない。
by kokakusouhachi
| 2012-03-31 16:28
| 随筆
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