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記憶の順番というものがあるのかもしれない。わたしは、先に、京山のことを思い出したが、次に思い出すのが、高専時代、黒沢山に彗星を見ようと思って、3人で登ったことである。
試験の後だと思うが、彗星を見るには、高専のあるところでは、川からもやが立ち上り、空をおおって、彗星を見ることができなかいということがわかったので、津山高専から北に連なって見える中国山地の一つの山、黒沢山にのぼることにしたのである。そのときのことを思い出していると、その山にのぼった後、日記を書き始めた。それで、一冊目の日記を引き出してみたのだが、最初は、昭和40年11月7日に書き始められている。その頃は、まだ元号を使っていた。手にとって、その名を見て、胸をつかれたのだが、田口君と近藤君と3人で自転車で行ったのである。胸をつかれたのは、そこに田口君の名前があったことである。彼は、もうこの世の人ではない。 日記を読み直して、そこに書かれていることを読んで、大体、記憶どおりだったのを確認したが、そこでの自分の言説には感心しない。何が、そのときのことをよく思い起こさせるのか、よくわからないのだが、確かに、このときのことはよく覚えている。 もやのたちこめない山の上なら、彗星を見ることができる、と思って、三人で自転車に乗ってでかけたのである。1965年11月7日、わたしは17歳だった。断片的に思い出すのは、長い坂道を、自転車を押しながら、山の上にのぼったことである。頂上に、寺の小さな家があって、だれもいなかった。普段は人がいない、とうかがえた。わたしたちは、そこの縁側で寝たのであるが、寒いので、途中で、雨戸をあけさせてもらって、勝手ながら、中で寝させてもらった。寒くて、頭痛がするようになったが、4時半には起きて、外に出て夜空を見上げた。しかし、空は雲におおわれていて、彗星を見ることはできなかった。 仕方なく、山をくだったが、次第に空は明るくなり、上空の雲も消え、下を見下ろすと、山々の間に雲海がたゆたっていた。その景色は今でも覚えている。 この経験でも、わたしは挫けず、岡山まで列車で帰り、朝、早く起きて、彗星を見ようとした。一日目はうまく行かず、二日目の朝には、池谷・関彗星を見ることができた。家の前に、そのことはあった田んぼに立って見たのである。それは、長い尾を見せていた。それをカメラで写した。しかし、写真は操作が失敗してとれていなかった。それをくやしがっているときに、岡山駅近くで、日記帳を目にすることがあって、購入し、それをきっかけとして日記を書き始めたのだった。以来、日記を書き始め、それは、現在63冊に及んでいる。 それが日記を書き始めた最初だったが、その最初に書いたのは、黒沢山に行ったことだった。 そして、この「御言葉をください」というブログを書き始める前までは、ひたすら一人で日記を書いていたのである。しかし、ブログを書き始めてから、日記帳は、よほどのことがなければ書くことがなくなってしまった。
by kokakusouhachi
| 2011-11-06 20:44
| 随筆
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