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散歩し、歩を進めるのは、思考を促進する、と最近、わたしは考えていた。しかし、座禅のことが急に、思い浮かんだ。座禅は、いったい思考の方法なのか、どうかわたしにはわからない。
哲学者たちが散歩を好んでいるのは、なんとなく、わかっている。「逍遥学派」というものがあったし、歩いてものを考えているソクラテスをプラトンは描いている。ラファエロのプラトンとアリストテレスの絵も二人が歩いている姿を描いている。カントも規則正しく散歩していたし、ニーチェも散歩している。西田幾多郎も。 しかし、ブッダは座禅し、道元も座禅した。道元は座禅こそ唯一の道だとまで言っている。西田も座禅している。 しかし、キリスト者は、聖書を読み、礼拝し、祈り、読み、考える。また、行動する。 散歩するとき、自然の中では、自動車を気にすることなく、また一人になれる。目に入るもの、耳に入るものから刺激を受けるが、それに心を奪われるほどではない。歩くと血行はよくなるから、頭の働きはよくなるだろう。 それと、おそらく、歩くことは、人を積極的にするところがあるだろう。
by kokakusouhachi
| 2011-11-05 23:51
| 随筆
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