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ヨハネによる福音書理解のための通路が開かれた。ヨハネによる福音書は、どこかわからないところがあった。たとえば、
わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。わたしが父のもとに行くからである。(ヨハネ14.12) というみ言葉である。明日の聖書研究祈祷会のためにいろいろな注解書を読んで、考えていた。聖書学者によって、示されたことがあり、そこから考え始めた。ある程度、新しい考えに達したところで、カルヴァンとシュラッターのものを読んでみた。カルヴァンの方が圧倒的にわたしに迫ってくるものがあった。カルヴァンは、まさにわたしの解釈の問題点をついたことを書いていた。「イエス・キリストは、父なる神に神性において等しく、人性の面で小さい」というのが、アウグスティヌスの「三位一体論」で語られていて、わたしは、それに従って、この箇所を解釈していたが、何か釈然としないものがあったのである。しかし、カルヴァンの解釈はなるほどと思わせるものであって、カルヴァンはやはり並はずれた注釈者であると思わされた。二重予定説には、賛成できないが。 ここで得た理解をもとにして、全体を読み直したらどうなるか、と思い、最初の1章1節から、最後まで読み直してみて、今までよくわからなかったところが、生き生きと響いてくるのを感じた。理解も進んだ。ヨハネによる福音書の地面が見えてきた気がする。
by kokakusouhachi
| 2011-10-04 23:07
| 随筆
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