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8月20日ごろから毎朝1時間近く、浜寺公園を散歩しているのであるが、その間は、ものを考えるのによい時間になっている。ニーチェも「この人を見よ」の中で、食事や飲み物や、運動の大事さを言っていて、これは、彼が病気に苦しんでいたことに由来していよう。病気で苦しんで、食事にも気をつけるようになり、運動するようにもしていたのだろう。この夏、気力を消耗しきっていたところに、急に暑くなり、暑さ対策で窓を開けて、夜寝た直後、風邪を引き、体力の衰弱も極点まで行って、その後は、群発頭痛というものに悩まされるようになって、ついに健康に真剣に目を向けるようになった。
それで、ニーチェの言うことがよくわかるようになったところがある。 その結果、散歩するようになったのであるが、体が前進すれば、思考も前進するという傾向があるらしい。ラファエロが描いた、プラトンとアリストテレスの絵にしても、二人が歩きながら対話している姿が描かれている。また、「逍遥学派」というものがあったことも思いだした。また、京都には、西田幾多郎の散歩していた道があって、それがたしか「哲学の道」とかなんとか、言われている。 それで、散歩の後、散歩中に考えたことを、このブログに書くということが多くなっている。 ついでに考えたことを付け加えておくと、都会人は、通勤のために、電車など使い、プラットフォームを歩き、階段の上がり降りを結構しているということであるが、野山や公園などを散歩しているときのように「ものを考える」ことは難しいであろう。駅の乗り降りに気をつけなければならないし、目に入ってくるのは、人の顔であり、人の声である。思考の妨げとなろう。 こうして考えていると、昔の人の方が、ものを考えることができる環境にあった、と思う。現代は騒音に満ちており、そのぶん、現代人はものを考える力が弱くなってしまっているだろう。 わたしの散歩しているところでは、主に松林の間を歩いているのだが、車道から遠くて、車の音がほとんど聞こえない。鳥たちが、草原で何かついばんでいる姿が見えるし、ホラ貝を吹いて散歩している人もいて、その音も聞こえてくることがある。ジョッギングする人、ランニングする人、ベンチに座っている人たちの姿が目に入ってくる。 静かでいいのだが、少し低い音が彼方から聞こえてきていて、それは聞こえ続けている。臨海工場地帯が稼働しているのである。それは、浜寺公園を運河を隔てて、かなたに広がっている。
by kokakusouhachi
| 2011-10-04 10:09
| 随筆
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