最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
「この人を見よ」の全体を振り返っていたら「理性の崩壊」という言葉が浮かんできた。やはり、「哲学」と言えば、理性を用いる学ということになろう。ソクラテス、ルター、イエス・キリストが、デカダンス、反自然、自己否定といったものの代表者である。道徳家、哲学者、神学者、僧侶でなどがデカダンスの代表者である。
ニーチェは、ナポレオン、ヴォルテール、スタンダール、ヘラクレイトスを称賛する。ニーチェは「生」を絶対視する。ルネッサンスを称揚する。 「この人を見よ」の最後は、「十字架にかけられた者 対 ディオニュソス」となっているが、本当は「十字架にかけられた者 対 ニーチェ」にしたかったのであろう。 ニーチェは「哲学者」と言えるのか。彼は、確かに、自分独自の考えを発達させた。しかし、彼は、自らを「哲学者」と呼ばれるよりも、心理家と呼ばれる方を喜んだのではないか。 木田元氏が「反哲学」といい、これはハイデッガーから学んだように言っているが、ハイデッガーはニーチェから学んだのではないか。 「観念」「理想」というものを、デカダンスと不可分なものとニーチェはした。ニーチェは、まぎれもなく思想家であるが、理性を重視せず、理性を自ら、次第に崩壊させていったのではないか。
by kokakusouhachi
| 2011-10-03 20:38
| 評論
|
Trackback
|
ファン申請 |
||