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第3回目の引用である。
かれは60年代から70年代、教会が政治的決断を激しく問われる中で、「多様性」と現状肯定主義と秩序論でしか対応しえず、69年万博問題を発端に教団紛争が起こる中で、教団常任常議員と万博キリスト教反対者との会合において問題提起者の学生青年たちから物理的暴力を受けた。(いわゆる北森嘉蔵殴打事件)これを機に彼と東京神学大学は対国家社会の問題に対して一層態度を硬化させていく。そして北森は、教団内の保守集団「教会福音主義連合」の神学的後ろ盾になっていくのである。 私は「神の痛み」の発見のもつ教会史的意義を認めたい。そして神の痛みの発見者北森になぜスプランクニゾマイが起こらなかったのであろうか、はらわたの苦悩が欠落するのかと残念に思う。機動隊を導入し、半数近い学生を排除し、正常化(?)した神学校における「神の痛み」の神学者とは何であろうか。そしてこのことと、「あれは高倉が一番疲れていた農伝時代、問題提起をする学生と教師会の間に立って労苦していた。地方の教会が教職を志す者を育てる労苦を自らも経験していた。疲れはてながら一人の学生も失うまいと体を張っていた」(「共に生きる」高倉牧師追悼より)とを対比し、わたしはその姿勢の相違に驚かされている。 岩田雅一著「岐路に立つ」115,116頁 山北宣久前教団議長は、「北森嘉蔵の神学は教団の神学の根幹だ」と言ったと人づてに聞いたが、山北氏が、福音主義教会連合のリーダーの一人だったことを思えば、むべなるかな、と思う。 こかく そうはち
by kokakusouhachi
| 2011-09-19 21:42
| 随筆
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