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「御国を来らせ給え」と祈ることは「罪の支配が打ち破られますように」という祈りを中に含んでいる。
神が、罪に支配されているわたしたちを救い出してくださるように、という祈りなのである。 ローマの信徒への手紙7章20節にあらためて、心を留め、クリストフ・ブルームハルトの「肉におけるキリスト」という説教を読み直し、「罪」「罪を犯す」「罪人」という言葉が新約聖書にどのようにおいて、どのように用いられているか、辞書を片手に読み直してみた。何時間かかかったが、私の心の中心に、はっきり収まって来たことがある。 それは、罪は、神と同じように「支配力」を持っているということであり、この支配力を打ち破られためにこそ、キリストは十字架につけられることをよしとされた、ということである。 ルターは「罪と死と悪魔」の支配ということを言ったけれども、パウロは基本的に「罪と死」の支配ということを書いている。サタンについても書かれているが、ほとんどないと言っていいぐらいである。「神の国」は「義の支配」と言い換えることもできようが、「義の支配」「神の支配」に対するものとしては「罪の支配」があると言えるのではないか。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-05-29 17:55
| 随筆
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