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今、少しだけ筑摩世界文学大系1 の『古代オリエント集』を読んでいる。杉勇・三笠宮崇仁のお二人の編んだものである。私は、この今はなくなられた三笠宮のことにいくらか関心を持っている。たしか、あの人は皇族であることをやめたいと言ったことがある。実現はしなかったが。そして、あの人が死んでから、私はあの人が、日本陸軍の蛮行を知って、それに批判的な反応をしたことを知った。ふと、三笠宮は、古代オリエントのことを研究しながら、現代の日本のことをどう思っていたのかと考えてしまう。
私は、シュメール文学の『人間の創造』『農牧のはじまり』『洪水伝説』のところなど読み、ついで、エジプトの『シヌヘの物語』を読んだ。 旧約聖書の文章が書かれた以前の古代オリエント世界のことを少しでも知りたかったのである。アブラハムが出発した「ウル」というとことろはどういうところであるか知りたかったのである。創世記では「カルデアのウル」と書かれているが、これは今日の学問では「シュメールのウル」とするのが正しいとされている。このウルはシュメール文明の中心地だったと言われている。アブラハムは、このシュメール文明の首都とも言うべきところを後に、見知らぬ土地に、神が示された地に向かって、先祖たちが住んでいた地を後に出発したのだった。アブラハムは、シュメール文明の中に、かなりの高齢になるまで生活していたのである。だから、アブラハムが息を吸っていたシュメール文明を、わたしもいくらか知りたいと思って、この『古代オリエント集』を手にしたのである。 それから、古代エジプトの文学をひとつ読んだ。 そして、今朝、ベッドの中で思っていたことは、アブラハムが決して、出発したところに戻ろうとしなかったこと、息子のイサクに嫁を迎える時も、イサクにシュメールの方に戻ることはさせない、というアブラハムの強い決意があったことである。 そして、古代エジプト文学の一つを読んで思うことは、イスラエルの民が、長い間、エジプトに住んだのちに、出エジプトの経験をしたことである。これもまた、エジプト文明の地からの出発ということがあった。アブラハムのシュメールとの別れを伴った出発。また、イスラエルの民のエジプトとの別れを伴っての出発。聖書は、それぞれの出発に、神の促しがあった、と伝えている。神がアブラハムに語られ、神がモ-セに語られた。 「出発」と「冒険」。そういうものがあったのである。 私は、これまで、イスラエルの地は、東はアッシリアやバビロンという大国、西はエジプトという大国の間に挟まれて大変だった、と考えて来た。しかし、歴史を振り返るならば、アブラハムはシュメールから、イスラエルの民はエジプトから出発したのだった。シュメール文明を後にし、エジプト文明を後にして、イスラルの民は、カナンの地に向かったのである。 そして、イスラエルの民は、聖書によれば、神に背いたために、アッシリアに北王国がほろぼされ、バビロンに南王国が滅ぼされたのである。バビロンと言えば、かってアブラハムが、そこから出発したシュメールのウルは遠くないところだった。 しかし、イスラエルの民は、ペルシャ王キュロスの力によってバビロンから解放され、再び約束の地に帰ることかゆるされたのだった。 こうして概観するならば、神が、どのようにして御自分の民を呼び出し、信じる者たちを立てようとされたかが、次第に明らかになってくる。神を信じる民は、出発する民、旅する民だったのである。そして、いつも、その先頭には神がおられたのだった。 そして、最後に、そのイスラエルの民の中からナザレのイエスと呼ばれる方が現れ、イスラエルの民だけでなく、全世界の民を救う方として救いの業を成就されたのだった。この方は、神のもとから来られ、さまざまな良き業をされた後、最後に、十字架において世の罪を取り除かれて死なれた。しかし、この方は死んだままではおられないで、三日墓の中に葬られたままだったけれど、三日目に、神が働かれて、この方を復活させられたのである。弟子たちは、この復活された方に会い、その方の言葉を聞いた。そして、この方は、もといらしたところ、神のところに帰っていかれたのである。ここにも旅がある。神の子がわたしたちのもとに来られ、神のもとにかえられたのである。そして、この神の子の旅を導かれていたのは神だった。 そして、弟子たちは、復活されたイエスに命じられて、故郷であるイスラエルを後にして、世界中に旅立ったのである。福音を携えて。そして、2000年近くたって、わたしたちが今生活している、この日本にも、キリストを信じる人たちが旅をしてきて、福音を伝えてくれたのである。そして、その福音を今、わたしたちが伝えている。キリスト者たちは旅する者たちであり、教会は「旅する神の民」であるが、その旅は、アブラハムの時から始まっていた。その旅の続きをわたしたちはしているのである。 かつて、「キリスト教の土着」ということが言われた。武田清子氏の有名な『土着と背教』という著作もある。 しかし、神の民は、本来、神が行くように示された地に向かって出発するものではなかろうか。「土着せよ」とキリストは言われたわけではない。 そして、この「土着」が問題であることは、マルティン・ルターなどはよく知っていたのではなかろうか。ルターは『教会のバビロン捕囚』という有名な著作をものにした。ルターと当時のカトリック教会のありさまを、ちょうど「バビロン捕囚」されているみたいだと感じたのである。だから、宗教改革は、バビロンから約束の地に帰るための出発であったとも言えるのではないか。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-05-01 10:51
| 随筆
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