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キリストが十字架を背負われたように、私も私に与えられた自分の十字架を背負って、キリストに従うこと。
日本の教会は、キリストに忠実であろうとすれば、天皇崇拝する人たちから迫害され、十字架を背負わされることを覚悟しなければならない、ということが次第にはっきりしてきた。 徳川時代、切支丹たちは、大変な迫害を受けて、多くの人たちが死んだ。明治維新になって、一応、切支丹は迫害されなくなったが、明治維新政府は、キリスト教会に基本的に敵対的だったのである。そして、それは、大日本帝国憲法や教育勅語によって、強化されたところがある。 これは、日本だけのことではないにしろ、日本において、個々のキリスト者たちも、教会も、キリストに忠実であろうとしたならば、苦難は避けがたい覚悟しなければなるまい。私は、この点、まだ覚悟が足りなかったと思い始めている。 今さっき、ヨブ記を通読し終わり、ヨブ記を今までより理解できなくなったと思う。イエス・キリストは、ヨブのように命は保証されていたものの、神に見捨てられた経験をしたのである。様々な苦難を受けた。しかし、彼は、神に抗議し続けながらも、神に対する信仰を捨てはしなかったのである。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2018-01-26 00:51
| 随筆
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