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斎藤信治訳の岩波文庫で、1977年10月29日に購入している。ひととおりは読んだのだが、まるでわからなかった。
ところが、これが、いわゆる「実存哲学」の初めの書であって、ハイデガーなどに決定的な影響を与えたらしい。 しかし、わたしが、この書を読む気にさせられたのは、この著者キルケゴールの書物を読んでいて、二度助けられている、ということがある。一つは『死に至る病』であって、この書物を読んでいた時に、「絶望は罪である」ということを認識させられた、ということがある。それは、「わたしは病気にかかっている」という診断を受け入れたということである。この書物は、私に、「絶望」というものが、どのような構造をもって、私の中に存在しているか、を知らせてくれるものだった。そして、わたしは絶望しているが、それはまさに「強情に絶望」している、ということであった。わたしが、強情であることを認識させられたのは、の書によってであった。 この著書には、この『死に至る病』は、絶望という病の診断書であって、薬は別にある、と書かれていた。絶望から癒されたいと願っていたわたしは、その薬を見い出したいと思ったが、見出させずにいた。ところが、わたしがベテスダホームにいた時、確か、信友寮の南棟の本棚の中にキルケゴールの『イエスの招き』が角川文庫で入っていた。井上良雄訳だった。それは、後に、『キリスト教の修練』と題して、新教出版社から再刊された。この井上良雄訳の『イエスの招き』を読んでいた時に、私は教会に行き、洗礼を受けようと思ったのである。 このように、キルケゴールには、二度も助けられている。それで、私はキルケゴールの著作を他にも読もうという気持ちになったのだった。『不安の概念』も、その中で手に取る気持ちになった。この『不安の概念』は、創世記第3章にかかわる書物で、私は、20歳の頃から、創世記第3章に多大な関心を持ち、アウグウスティヌスの『自由意志論』、ミルトンの『失楽園』そして、フランツ・カフカが創世記第3章について考察したものなど、いろいろ読んで、自分でも短編小説を書いたことがあるぐらいなのである。母教会の東金教会で、神学生の時、原稿用紙50枚ぐらいの長い説教をさせてもらったことがあるぐらいだった。 そういうわけで、かつて、大いなる期待をもって、この『不安の概念』を手に取ったのだが、まるで分からない。何一つ、収穫がなかった。 今、ヘーゲルのものを読み、少し、今までにない準備をして、この書物を手に取ってみて、たしかにヘーゲルを徹底的に批判していることが、わかった。 しかし、依然として手強い。そこで、少々わかってもわからなくても、ざっと一度読み通して、その後に、少し丁寧に読み直してみようか、と思って、読み始めている。 もう40年来の課題なのである。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-04-17 16:37
| 随筆
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