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いつものようにボンへッファーの『主のよき力に守られて』を読んでいて、もう何十回と読んだに違いないことばを読んで、初めて驚いた。
ところで僕は、いつも旧約聖書的に考え、感じているように思う。過去数か月の間は、新約聖書より旧約聖書のほうを多く読んでいるほどだ。 わたし自身に、このようなことが起きたことはない。依然として新約聖書の方をよく読んでいる。 今日のところの最後で、彼はこう書いている。 究極の言葉を、究極以前の言葉をさしおいて語ることはできないし、許されない。僕たちは究極以前のものの中に生きて、究極のものを信じているのではないであろうか。 この言葉に私は全く同意する。私は、社会福祉施設で働いていた時、労働組合の委員長をしていたが、労働組合の委員長をしていたためにある人たちを傷つけ、そのことがきっかけとなり、組合の中で隠然たる勢力を振るっていた人と対決することになった。「黒幕」氏との対決を迫られたのだが、その時、主の言葉が与えられた。そして、激しい戦いが起きたのだった。1年後、私は教会で洗礼を受けた。だから、この言葉はよくわかる。 わたしが、こののブログを「哲学・思想」と「政治・経済」の二つのジャンルに登録したのは、そのせいである。 「哲学・思想」のところで「究極のこと」を語ろうとし、「政治・経済」のところで、「究極以前のこと」を語ろうとしてきたのである。「究極のこと」とは、特に説教を採録したりすることで、福音を語ろうとしたことである。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-12-16 10:01
| 随筆
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