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日本聖書神学校での研修会が終わって、何日かたつのだが、あらためて、ルターのヴォルムスの国会での最後の言葉、「我ここに立つ」という言葉の意味の大きさを思っている。
あの時、宗教改革つまり「信仰によって義とされる」という決定的な教えが、前進するか崩壊するかが決定され、宗教改革が前進したのである。もし、あの時、ルターが、自分の命を大事にして、自らの主張を放棄したなら、宗教改革は挫折したであろう。1521年4月18日のことだった。 通常、1517年10月31日に「95カ条の論題」が掲げられたことが宗教改革の発端とされる。それは間違ってはいない。しかし、その時、ルターは命を狙われてはいなかった。 しかし、ヴォルムスの国会に召喚された時は、死刑になるおそれがあったのである。それを裏付ける事実として、ヴォルムスの国会からの帰途、ルターはルターの命を守ろうとする人々によって誘拐のような形で、ある城につれていかれた。そこで彼は、旧約聖書と新約聖書を原文からドイツ語に翻訳したのだった。 ルターが「我ここに立つ」と言った時の「ここ」とはどこのことか、ということが、今日、わたしに明確になったのである。 人気ブログランキング にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2017-09-02 21:54
| 随筆
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