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主が「裁いてはならない」と言われたのは、無責任になれ、と言われたわけではない。
私は罪の赦しを信じているがゆえに、石原元知事の責任を徹底的に追及すべきだと言うのである。わたしたちの裁きは、しょせん相対的なものであり、不完全なものであり、しばしば自分が犯した罪には寛容で、ひとの罪に厳しいということがあるにしても、わたしたちなりに裁きを行わなければならない時もあるのである。教会にも戒規はある。そして、「裁いてはならない」という言葉を律法主義的にうけとめてしまうなら、クリスチャンは裁判官になれないということになってしまう。そうではないだろう。 私は、戦後の日本の最大の問題は、日本人の手によって戦争責任の追及をしなかったことにあると思っている。天皇の戦争責任も不問に付された。そのことによって、日本は巨大な無責任国家となってしまった。安倍政権をこれほど長期に国民が認めているのもそのせいだし、原発をやめられないのもそのせいだろう。一切、だれも責任をとろうとしないのである。昨日の福岡高裁の裁判長など、無責任な日本人の代表的な人物の一人だろう。最後にはアメリカを引き合いに出し、卑屈極まりない話である。 石原慎太郎氏の責任が、刑事に及ぶものかどうかは今のところ、わからない。しかし、刑事に及ぶかどうか、ということより、私たち日本国民は、日本人民は、もう少し責任を持った生き方をしようではないか、ということである。悪いことをしたら、悪いことをしましたと認め、ちゃんと誤るべきことは誤るということである。 もちろん、これは日本だけのことではない。特にアメリカのひどさを思うけれど、そのアメリカでもイラク戦争の反省を少しはしている。しかし、日本政府はどうか、日本国民はどうか。 主の「裁いてはならない」ということは、無責任を放置しておいてよい、ということではない。無責任を放置しておくと、社会が崩れる、国が崩れるということがあるから、そういうのである。いい加減な責任追及では、旧態依然の悪弊・無責任が一向にあらためられないことになる。 徹底して、石原慎太郎元知事の責任を追及すべし。その結果、彼にあまり責任がない、ということになるなら、それはそれでいい。ただ中途でやめるのはよくない。 ドイツでは、今なお、95歳になった元ナチスの老人を法廷に立たせているのである。日本人はなんと自分達に甘いことか。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-09-17 09:19
| 随筆
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