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バルトの「聖書論」を読んでいて、聖書の権威と教会の権威について論じているところを読み直していると、そこで1870年に第一バチカン公会議で、教皇の無謬説が教義まで高められたと書かれていた。それを読みながら、ドストエフスキーの大審問官伝説のことを思い出した。「大審問官伝説」とはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中にあるイヴァン・カラマーゾフが弟のアレクセイ・カラマーゾフに話して聞かせたイヴァンの創作した劇詩のことである。この劇詩に登場する大審問官はカトリック教会を代表する人物のように書かれているので、大審問官伝説は、ドストエフスキーのカトリック教会批判だと取れるのではないか、と前から感じていた。同じようなことを誰かが書いているのを読んだ覚えがある。
しかし。今日1870年という年を意識した時、「大審問官伝説」は、第一バチカン公会議の決定を知ったあと、ドストエフスキーの中で形成され始めたのではないかという考えが閃いた。そして、『カラマーゾフの兄弟』がいつ書かれたのか知りたくなった。1879年という数字が出て来た。『ロシア報知』に『カラマーゾフの兄弟』が掲載され始めた年である。だから、ドストエフスキーは、既にバチカン公会議の決定を知っていたと考えることができる。いわゆる「教皇無謬」の教説が教義まで高められたことを、ドストエフスキーは知っていただろう。そのことを背景として「大審問官伝説」は成立したのではなかろうか。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-09-10 13:19
| 随筆
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