最新の記事
以前の記事
カテゴリ
記事ランキング
ブログジャンル
最新のコメント
フォロー中のブログ
風のたよりー佐藤かずよし 日本がアブナイ! 広島瀬戸内新聞ニュース(... そうはちのコラム そうはちのコラム2 御言葉をください 命最優先 大山弘一のブログ 放射能に向き合う日々 世に倦む日日 社会の動向・住まいの設計 最新のトラックバック
検索
タグ
キリスト・イエス(3643)
教会(3000) 安倍晋三(2024) 森友学園(1566) 加計学園(1390) 共謀罪(159) 日本基督教団(137) 佐藤優(64) 天皇制(42) 辞書(36) ブログパーツ
外部リンク
ファン
メモ帳
ライフログ
その他のジャンル
画像一覧
|
この文章を読んでくださるあなたに尋ねてみたい。「あなたは、先の大戦で、敵国の人たちを殺した人の話を聞いたことがあるだろうか」。
私は、中国で、300名以上の人を殺したNという人の話を聞いたことがある。目の前でその人が語っているを聞いたのである。私は、それ以外、戦争で人を殺した人の話を聞いたことがない。 考えてみれば、私たちは、戦争の被害を受けた話ばかり聞いているのである。 何故だろう。 それは、「自分は人を殺した」と戦争で人を殺したことでも口にできないものだからである。たくさんの日本兵たちが、戦争で人を殺したに違いない。しかし、復員兵たちは、戦争で人を殺したことを話したがらなかったろう。 しかし、夜というものがある。夜、戦場から帰ってきた人たちが、うなされていた、という話は耳にすることがある。 これは、アメリカの戦場帰りの兵たちが、人を殺したことでいわゆるPTSDで苦しんでいるさまを、「ウィンター・ソルジャーズ」というドキュメンタリー映画で観たことがある。人を殺せば、殺した人も傷つかないですまない。人間とはそういうものである。 私は、戦後3年目に生まれたものだが、私は、知らずして、戦争で人を殺した経験を持ち、それを黙って生きていた人たちに出会い、その人たちと一緒に生活し、その人たちと話したことがあるかもしれないのである。 私は、特務機関に務めていて、中国で300人以上の人を殺して、中国で捕虜になり、自殺しようとして、死にきれず、その時に初めて自分が殺した人たちも「生きたい」と思っただろうということがわかり、自分は何ということをしたのだろう、と気づいたという人の話を聞いたことがある。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-08-20 16:16
| 随筆
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||