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さきほどの投稿の後、仏教で確かなものは何か、と考えた。そして、行苦性という言葉を思い出したが、それ以上前に進めないので、増谷文雄著『釈尊のさとり』をまた手に取る。
そして、「法」という言葉に行きあたる。 「自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり」(道元) 「万」「法」であするが、「法」である。向こうから悟りがやってくる。というのである。法の方から、「悟り」がやってきて「苦」を滅するというのである。 しかし、わたしが信じているのは、イエス・キリストである。 仏教では「悟り」が、福音においては「信仰」が救いである。どちらも、彼方からやってくるが、「万法」と「キリスト」の違いがある。だからこそ、滝沢克己は、「なぜ、イエス・キリストの名にこだわらなければならないのか」と問うたのであろう。 しかし、わたしにとっては、確かなものは、神とキリストのみ、である。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-08-04 15:02
| 随筆
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