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イエス・キリストは全能の神を信じていらした。一番最初に書かれたとされているマルコによる福音書10章27節。
イエスは彼らを見つめて言われた。「人間にはできることではないが、神にはできるからだ。」 また、ゲッセマネの園で。 こう言われた。「アッバ、父よ、あなたは何でもおできになります。この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしが願うことではなく、御心に適うことが行われますように。」(マルコによる福音書12章36節) また、大祭司の前でイエスはこう言われた。 「そうです。あなたたちはも人の子が全能の神のに座り、天の雲に囲まれて来るのを見る。」 (マルコ14.62) ここでイエスは、ダニエル書を引用しながら、「全能の神」と言われている。 この全能の神を信じておられる方が、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んで十字架の上で死なれたのである。 だれかが、わたしに向かって、「あなたは、それでも全能の神を信じますか。ボンへッファーは、神は僕たちを見捨てられる神なのであると言いましたが。」と問うならば、私は答えよう。 「それでも、わたしは神は全能の神だと信じましょう。ボンへッファーは、絞首台に登って行ったとき、神に身をゆだね切って祈ってから登ったといいます。そして、彼は、死が最後ではないと思っていました。彼は、新しい生の始まりを予感していました。」 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-07-02 10:31
| 随筆
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