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哲学者は、そのようには言わないであろう。
しかし、聖書に従って考えるなら、永遠は神のことである。 私たちが死んで直面するのは、永遠であり、無ではない。(しかし、わたしたちは生きている時も、神に直面しており、神はわたしたち人間の生死を越える。) そして、永遠は死んだものではなく、生きたものである。いや、ものではない。生きた方なのである。 イエス・キリストは死者の中から神の力によって復活させられて、今生きておられるが。このイエス・キリストは、永遠に活きておられる神でもいらっしゃるのである。 十字架につけられた神は、永遠の神である。 全能の神は永遠の神であり、永遠の神こそが全能の神である。 わたしは、ひとつの重要な領域が未整理であることに気づかされた。 神と出会うということは、永遠と出会うということである。 それは、「時間と永遠」の問題である。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-06-30 08:37
| 随筆
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