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これは、アウグスティヌスが教えてくれたことなのであるが、バルトは、主に聖霊は啓示の霊であると考えていたと思う。
しかし、よくよく考えてみるならば、聖霊は「御父の霊」であるだけでなく、また「御子の霊」であるだけでなく、「御父と御子の霊」でもあるのだから、より根源的な言い方は、「聖霊は愛の霊である。」ということにならないだろうか。 聖霊は、愛の霊である後に、啓示の霊なのだと思う。啓示は人間にされるものであるから、人間の創造の後でなければ、啓示の霊は存在し得ないことになる。 もともと、聖霊は「御父と御子の霊」であることによって、永遠の初めに、愛の霊であったのであり、今もそうである。しかし、この霊が、啓示の働きをされるようになったのは、人間の創造の後らということになるのではなかろうか。書きながら、なお不明確なところが残っているのに気づいたので、これは宿題としておこう。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-05-28 07:56
| 随筆
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