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わたしは、バルト・ボンへッファーの線を崩すつもりはないが、一度ルターに戻ってみようか、と思い始めている。カルヴァンでなく、ルターにである。
結局は、イエス・キリストに戻って行くにしても、ルターという人が語り、行動したことを経過して戻って行く、ということになろう。 聖書学者たちが、どんなに新しい知見をもって、聖書を新しく読み直させてくれるとしても、もはやルターを無視できないのが、世界のキリスト教会であると思う。 ルターには、多くの乗り越えられなければならないものがあることは、つとに様々な人たちから指摘されており、それは多くの場合、当たってもいるだろう。特に、バルトによるルターの批判は、聞かなければなるまい。しかし、そのバルトにしても、ルターを「ドイツ最大のキリスト者」と言っているのである。しかし、ルターがでなければカルヴァンもでなかったろうし、ウェスレーも、ノックスもでなかったろう。日本で内村鑑三が出ることもなかったろう。 そして、イギリスで清教徒革命も名誉革命も起きることがなく、近代憲法も生まれることはなかったろう。 わたしは、「宗教改革」と呼ばれているものは、本当は、最も革命的なものであって、「宗教革命」と言った方がよいのではないか、とさえ考え始めている。 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
by kokakusouhachi
| 2016-05-06 09:26
| 随筆
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