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結局、最後は捨てることである。毎日、新聞は舞い込み、郵便物は教会のポストに投げ込まれ、多数のメールがやってくる。購入してくる本がある。集会に出てもらって帰って来るたくさんの集会案内がある。ただでさえ、いろいろなものが、入って来る。
現代に「ゴミ屋敷」ができるのも不思議ではない。かつての日本の風景でおそらく「ゴミ屋敷」など存在しようもなかったのである。物があふれれば、ゴミも増大し、ゴミの回収、焼却が、地方公共団体の仕事になる。 資本主義社会で、消費を増大させ、国民総生産GDPの拡大をはかるならば、ゴミの増大しそれに比例する。世界の中で、ゴミの山が築かれていくのである。焼却場のないところでは、ゴミが文字通り山になって行き、貧しい人々は、そこに行って、少しでも生活の足しになるものがないかと探して回る。そして、ある程度のゴミは、川に流れ、海に流れ、異国の海岸に流れ着き、砂浜の景観を破壊する。それをなんとかしようと善意の人たちがボランティアて片づけをするが、ここでも地方公共団体が出て来て、始末するということになる。それはもちろん税金で行われる。 だから、捨てることは大事だが、そこで環境破壊の問題が起きて来る。それならば、できるだけ消費しない生活をすれば、ということになるが、それでは資本主義社会は成り立たぬということになる。デフレ脱却は、経済成長を至上善とする人たちには金科玉条であろう。 しかし、そうこうしている内に二酸化炭素の量は、世界中で確実に増大し、その二酸化炭素の増大が地球温暖化をもたららしているということで、世界中の人たちが集まって、会議をする時代になっている。にほんでもそれに取り組み、昨日、わたしが乗った南海電鉄のポスターにも、自分たちの会社は、このような方法でそれに取り組んでいます、と書いてある。 ところで、全然違うことだが、主イエスは、自分を捨てることについて言われた。 わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。(マルコ8.34) この場合、捨てるのは、「自分」である。ただなんでも「自分を捨てる」のがいいというわけではない。「キリストに従う」ために「従うのに抵抗する自分を捨てる」のである。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2016-04-04 10:19
| 随筆
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