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安倍晋三首相が、相手に自分の言葉を信じてもらいたい時、どうしても納得してくれそうにない野党議員の質問に対して、「私は総理なんだから、わたしの言うことは確かだ」という返事をすることの何か途方もない「奇異さ」というものについて、私は考え続けてきた。安倍晋三氏は、その言い方が、相手に対する決定的な反論、説得力ある言葉だと思っている節があり、それが、わたしたちに奇異の念を起こさせるのだと思われる。これは、尋常な人の発言ではない。
しかし、わたしは、ここしばらく、以下のように考え始めた。安倍一強という状態が続き、安倍首相は、内閣や自民党の中では「私は総理なんだから」という言葉を、最後の切り札として使い、それが今までは有効だったのではなかろうか。誰かさんの言い方によれば、「自民党内はヒラメばかりで、安倍さんを仰いでいる」ということだったから。だから、「わたしは総理なんだから」という言い方は、身内の内では実際、力を振るって来たのだろう。しかし、これは野党議員に向かって言っても、「それがどうしたっていうんですか。あなたは神様ですか。」という内容の答えが返って来るばかりだし、説得力がないので失笑を買い、「安倍首相は裸の王様だ」と言われてしまうのである。問題は、そういうことが客観的に判断できず、首相の力を過信しているということである。何しろ、彼は憲法さえ無視する人だから、「夜郎自大」という言葉がきわめてあてはまる人に成り果てているのだろう。 人気ブログランキングへ にほんブログ村
by kokakusouhachi
| 2015-08-10 09:19
| 随筆
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