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タイトルの著作は、井上清氏が著者であり、現代評論社から1975年に出版されている。わたしは、これを1981年12月29日に購入している。33才のときということになるが、その時には、新教出版社に勤め、神学校に通っていたことになる。この著作も何回か読んでいて、結局、わたしの問題意識は、受洗の時に抱えていた問題意識とほとんどかわっていないのだと思う。それほどベテスダホームでのわたしの例の経験は決定的だったのである。
『キリスト教の修練』を今回読み通してみて、そこではある意味でキリスト論に出会ったのであり、バルトのキリスト論をさらに追求するという前からの課題を再認識させられた。 一方、橋下徹氏のことであるが、ベテスダホームで黒幕的な存在であったS氏との共通性があるのに今、気づき始めている。大阪市職員規制条例が可決されたが、職員は市長の奴隷になれということであろう。公明党は「維新の会」と組んで世の中をどんどん悪くしている。橋下氏が言う「首長公選制」と「天皇を元首に」ということはつながっていて、要するに人民を奴隷にして支配したいのである。驚くべき権力欲である。
by kokakusouhachi
| 2012-07-28 11:01
| 評論
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