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増谷文雄著の「釈尊のさとり」をこれで6度目読了。講談社学術文庫で90頁の短いものである。
前に「何も残さないで」という内容のことを考えた後、仏教がさらにわかるようになったのではないか、と考えて「ブツダの言葉」を少し読み直してみたが、この「釈尊のさとり」をもう一度読んでみれば新しい理解、新しい発見があるかもしれない、と思った。そして、今、読み直したところなのであるが、確かに、新たに得たものがある。一つは、座禅というものである。「縁滅の公式」を悟るには座禅をしていることがある。そして、断食といった禁欲主義ではなく、中道でいく、ということである。しかも「むさぼり」から離れること。そして、「法に依る」ということ。「法」とは「律法」のことではなく「真理」のことである。説法は「真理」を説くことである。キリスト教では、イエス・キリストを証しすることが説教である。 そして、十二縁起が大事である。 すなわち、無明(無智)に縁りて行(意志)がある。行に縁りて識(意識)がある。識に縁りて名色(個体)がある。名色に縁りて六処(六つの感官)がある。六処に縁りて触(対象との接触)がある。職に受(感覚)がある。受によって愛(貪り)がある。愛によりて有(欲望的存在)がある。有によりて生(迷いの生涯)がある。生によって老死があり、愁・悲・苦・憂・悩がある。このすべての苦の生起はかくのごとくである、と。 仏教の精進は、無明の闇を滅することにあるのだろう。
by kokakusouhachi
| 2012-01-04 16:19
| 評論
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