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ウェブで、「古かく荘八」を検索すると、鹿児島加治屋町教会の説教が、一番先に出てきて、そこにアクセスすると、説教の本文が出てきて、わたしの名前が出てくる。よく居眠りしていた学生として出てくる。
実際、そう体が強くなく、居眠りしていたのは事実である。飯田輝明さんが書いているように、よく居眠りしていて、村上伸先生などは、わたしの結婚式の披露の席で、そのことを話され、「居眠りしていたのに、急に質問をされて、驚いたことがある。」などと言われた。しかし、わたしのブログを多少とも読まれた方なら、わたしは、決して、その頃、いい加減な勉学姿勢でいたわけではなことは、書かずともわかってくださるだろう。 飯田さんは、わたしにガンディーの本を贈ってくださって、わたしは今もその本を持っている。 彼は、寮ではすぐそばの部屋だった。 その寮で、わたしは、ルターの「ガラテヤ書大講解」の抄訳を読み、決定的な回心の経験をした。そして、卒業論文でボンヘッファーに取り組んだ。 夜の神学校で4年間いたが、ここで、神学校での勉強の外に、バルトやボンヘッファーのものをよく読むようになっていた。森有正もよく読んでいた。この時期、わたしの神学の方向性が定まった。しかし、これは、日本聖書神学校の教育によって、そこに導かれたというわけではない。ベテスダホームにいた時から既に、その方向に歩み出していたと思う。 それに、わたしは神学生時代、新教出版社に勤めさていただいていたので、そこでの影響はかなり大きかったのである。このことはまた書こう。 わたしの、この神学校時代には、ベテスダホームを出てきたことがよかったのか、どうか苦しむことが多かった。このこともまた書こう。 古かく荘八
by kokakusouhachi
| 2011-10-22 22:21
| 評論
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