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ニーチェの「この人を見よ」を再読していて、ニーチェが言う「ディオニュソス的」ということについて、ニーチェが最初に語ったのは「悲劇の誕生」であったことを、ニーチェ自身に教えてもらった。
以前に一度だけ、「悲劇の誕生」を読んだことがあるが、まるで何も理解していなかったと思う。ニーチェをよく理解しようとすると、最初の著作から順番に読んでみる必要がありそうである。そのために、この「この人を見よ」は、基本的な手引書となるであろう。著者自身によるニーチェ入門というところだろうか。 それにしても、この著作は、ニーチェの翌年の発狂を思わせてしまう。内容が支離滅裂ということではない。ニーチェ自身、自分の精神的崩壊を心の非常に深いところで予感していたのではないか、とさえ思われるのである。このような感想は、もうずいぶん前から、わたしは持っていた。まだ44歳であったニーチェが生涯を振り返ってこのような著作を書いているのである。 わたしにとって「ツァラストラはかく語りき」は難解でわからない書物だったが、少し理解への道が開けているようだ。しかし、理解するためには、「悲劇の誕生」から始めなければならないようだ。 そして、今の段階で思うことは、ニーチェは、もうあれ以上進むことはできなかったのであろう、ということである。ニーチェがさらに長く生きても、今、残っているもの以上のことを言えなかったのではなかろうか、という予感。
by kokakusouhachi
| 2011-09-14 17:48
| 評論
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