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バルトの「教会教義学」の14節「啓示の時間」のところを読んでいる。ここのところは、読んでもよくわからないところだったが、今度は、「堕罪の時間」のところに立ち止まって、この「堕罪の時間」とは何だろうと考えていて、急にわかってきたところがあり、今までわからなかったところが、急に霧が晴れてくるようにわかるという経験をしている。
この調子でいくと、「教会教義学」の全体を理解できるようになるかもしれない。30歳くらいからバルトを読んできたのだが、ずいぶん時間がかかったと思う。 一番最初に、丁寧に読んだのは、日本聖書神学校の図書館にあった「聖霊とキリスト教生活」という新書版の小冊子だったが、これは、読み進めるのに時間がかかった。それから、「知解を求める信仰」が難物だった。 この「啓示の時間」のところもよくわからなかったのであるが、今回、主な障害は乗り越えたと思う。「神の言葉についての教説」をよく理解することが、「教会教義学」全体を理解する大前提であると思われる。それが、翻訳の事情もあって、「神の言葉についての教説」全体の構造がよく把握できなかったということがある。
by kokakusouhachi
| 2011-09-04 20:23
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